霊魂の暗夜
暗き夜に 炎と燃える
愛の心の耐えがたく
おお恵まれしそのときよ、
気づかるることもなく、出ず
すでに、我が家は静まりたれば
闇に紛れて恐れなく
それとは見えぬ姿にて
かくれし梯子をつてにとり
おお恵まれしそのときよ、
暗闇に身をば隠して
すでに我が家は静まりたれば
恵まれしその夜に
気づかるるなく しのびゆく
目にふるるものとてもなく
導く光はただひとつ
心に燃ゆる そが光
この光こそ わが導き
昼の光にまさりて さだかに
心に刻む おん者の
われを待つ その方に
人ひとり姿を見せぬ その方に
おお 導きの その夜よ
おお あけぼのも
さらに及ばぬ その夜よ
おお 愛する彼と 結びし夜よ
わがすべては 彼が映し像
彼がためのみ
ひたぶるに守りこし
今し、花咲く わが胸に
安けく眠る 彼を抱けば
杉の梢に 風のさゆらぐ
彼が髪をば 指もて梳けば
城の狭間に 風流れ
その手 静かに
うなじにふるれば
わがすべての思いは 絶ゆ
みじろぎもせず 己を忘れ
いとしき彼に 顔を寄せ
すべては絶えて われもなく
小百合のうちに
煩う心の さらになし
十字架の聖ヨハネ 『カルメル山登攀』 (奥村一郎訳) ドン・ボスコ社
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モモ
とてもとてもふしぎな、
それでいてきわめて日常的な一つの秘密があります。
すべての人間はそれにかかわりあい、
それをよく知っていますが、
そのことを考えてみる人はほとんどいません。
たいていの人はその分け前をもらうだけもらって、
それをいっこうに不思議とも思わないのです。
この秘密とは、時間です。
時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、
はかってみたところであまり意味はありません。
というのは、誰でも知っているとおり、
その時間にどんなことがあったかによって、
わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、
逆にほんの一瞬と思えることもあるからです。
なぜなら、時間とはすなわち生活(いのち)だからです。
そして、人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。
・・・・
しばらくすると、
モモはいままでい一度も感じたことのなかったような気持ちにとらわれました。
生まれてはじめての気持ちだったもので、
それが退屈さだとわかるまでには、
だいぶ時間がかかりました。
モモはどうしていいかわからなくなりました。
できるならこの完全無欠な人形なぞほっぽりだして、
なにか別の遊びをしたかったのですが、
どういうわけか人形から離れることができません。
なにかきゅうに、世の中から楽しいことがすっかり消えてしまったような、
というより、世の中に楽しいことなどあったためしがない、
というような気がしてきました。
そして、いままで楽しいと感じたのは、
ただそう思いこんでいただけだったようです。
けれども、それと同時に、
それは違うぞと警告する声が
自分の心に聞こえたような気もしてきました。
モモはぼんやりとながらも、
自分がある戦いに直面している、
いや、すでに戦いの中に巻き込まれている、と感じました。
けれども、
それが何の戦いなのか、
誰に対する戦いなのかは、
わかりません。
ミヒャエル・エンデ著 『モモ』大島かおり訳 岩波書店
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