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精神世界のお話し中心です。 ゆっくり、ゆっくりと耕していくことが肝心です。
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  • 「ここ」という始まりの在りよう次第で、「そこ」という終わりの在りようも変化する。
    『ルーミー詩撰』メヴラーナ・ジェラールッディーン・ルーミー
    ★★★
    ここは多くの言葉も使いませんし、その内容も然したる確証もないものばかりです。

    言葉を紡ぐのが大変重荷に感じる者が書く内容ですので、

    偉大な先哲の名文をお借りし、助けてていただいたりもしております。

    私が紡いだ記事自体は、なんの花もなく朴訥としたものです。

    どうか・・・訪れた方の記憶に何も残らず・・・

    後味もなく立ち去って行かれますことを心より祈ります。

    ★★★
    Rumi: Sufi Poem

    ★★★
    祈りを貪るものたちは、野のユリよりも美しく、着飾ることを知っている。
    多くの先達たちは口を揃えて「お前はそれだ、気がつけ」と叱咤している。

    それは確かなことだし、ごもっともなことだ。

    ギーターなんかは目白押しだ。

    でも、「現実はねー。。。」「そんなもの社会の中でなんの役にたつっていうんだ」

    と、当たり前のように反応が返ってくる。

    これは、当然の反応だと思う。

    「現実と当たり前に認識している」社会の中で、瞑想や祈りなど何の役にも立たないにきまっているじゃないか。

    この、「現実と当たり前に認識している」ものの構造は、第一義に「忘れさせること」と「刺激を与え感情を搾取すること」にあるのだから。

    だからと言って、僧院に引越ししてもどうにもならない。

    僧院も、あなたの外にあるのだから。
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