人類がどれほどの苦しみと嘆きを吐き出そうが、
また、
人類の中に流れる一つの血族の、
さらにそこに息づく一個人に、
どれほどの苦悩があろうとも、
その個人がどれほど天に唾を吐きかけ、
その眼から血を流し、
禍々しき「怨」に身を焦がしたとしても、
上位捕食者である天にとっては、
彼らの快楽の一粒でしかない。
人よ、
見間違うな、
思い出せ。
この地球の階級構造は、
この宇宙の階級構造と相似であることを。
人よ、
思い出せ、
思い出した地点が始まりであることを。
人よ、
思い出せ。
あなたが、元いた星で刻み込んでいた言葉、
「私は、常に、どう在るべきか」
を。
人はこれ以上、
運動するだけの、
上位捕食者達の、
食物に成り下がるわけには、いかないのだ。
zon
パリは燃えているか
2009年10月31日追加・修正
あなたは、その時、その時に応じて様々に判断し選択しているとするならば。
そして常にそこには「自由」という現実が在るとするならば。
何があなたを限定し、あなたの未来を作り出しているのか?
あなたの未来を作り出しているのは、あなたなのか?それとも誰かなのか?何がそうさせているのだろうか?
そこに実に多様な見解があり、様々な意見で溢れているとすれば、あなたは何を選択するだろうか?
あなたにとっての真実というのは存在するのだろうか?
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多くの方々がアセンションについて解説され、提唱されている。
そして多くの方々がそれらの解説や提唱に出会い、
それらを自らの内に秘め様々に思い巡らせている。
アセンションはあるのだろうか?
それは何時おこるのだろうか?
この方の言っていることは本当だろうか?
私はどうなのだろうか?
周りはどうなのだろうか?
乗り遅れるのではないか?
自分はすでに達成した。
新手のカルトじゃないの?
そういえば似たようなこと昔もテレビで放送してたね。
等等。
頭の切れる方々の中には、アセンションを一つのビジネスとして捉える方もいるだろうし、
アセンションという事を使用し、人々の注目を集め自らを高めようとなさる方もいるだろうし、
アセンションという事を使用し、人々を啓蒙なさる方もいるだろう。
心根の素直な方々の中には、純粋にアセンションを楽しむ方もおられることだろうし、
全てを神々の手に委ねることを選ばれる方もいるだろし、
そこから何かを見出す方々もいるだろう。
アセンションするのは、こうしたら良い。
いや、こちらではこのように言っている。
どちらがいいのだろう?
こんな事を感じる方々もいるかもしれない。
全く無関心の方もおられるに違いないと思う。
他に重要なことはいくらでもあるからね。
それに私は、自分の生活をより豊かにより良いものしていくことは、
人として諦めるべきでないし、放棄すべきでないし、手放すべきではないと強く感じている。
で、私がアセンションについて感じることはというと。
多種多様それでいいのでは?
と思っている。
一人一人の顔立ちが様々なように、一人一人が見出す真実も違っているのならば、
人が自ら考え、自ら感じ取り、自ら動き模索し見出した「自分の真実」には、
自分自身を証明させる価値を持つものにもなるだろう。
それは良いものだ。
とか。
それは悪いものだ。
と倫理観をそこに当てはめる前に、
ほんの少し立ち止まってみてほしい。
見出したその真実はあなたの世界の一つであり、
あなたがこれから辿る道の一因になるとするならば、
それはやはり、あなたにとっては変えがたい価値ある真実とも言えるだろう。
ならば、
一人一人がそれぞれ自らの世界を持っていると言うことは言いすぎだろうか?
一人一人が自らの世界を各瞬間ごとに作り出していると言えないだろうか?
そして、あなたはzonにこんな風に質問をぶつけることもできる。
「おいzon。それなら真理はどうなのだ?真理もまた一人一人違うのか?」
とね。
いや、真理という言葉を使うのは良くないのかもしれない。
この言葉は今まで、人の歴史のなかで様々に利用された言葉でもあるから。
唯一絶対なる者となるのだろうか?
老子のように「道」とだけ表現すればいいのだろうか?
唯一の真実とでも表現すればいいのだろうか?
どちらにしても、それに出会える能力など私には欠片もない。
私が知っているのは、私は本当は何も知らないし知らなかった。
ということだ。
それでも、性懲りもなく毎日私は問い続けている。
本当にいつになったら諦めるのだろうね。
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もしも、この宇宙の根源に何かの意図があるとすれば、
それは「支配」だろうか?
それとも「自由」だろうか?
それとも、他に何かの意図があるのだろうか?